笛の音色と共に…
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その4「手孔・指孔」
笛を始めたころ、篠笛の教本の説明に、指で押える笛の孔を「手孔」と書かれていることを知った。手孔とは妙な言い方だと思ったが、よく考えてみると篠笛の音楽と楽器をよほど熟知した人の書き方であることに気がつき感服してしまった。

「その手で深みへ浜千鳥、通いなれたる土手八丁、口八丁にのせられて、沖の鴎の二挺立、三挺立…(長唄「吉原雀」の一節)」…ここで言う「その手」とは「手練手管」の手であろう。あるいは「その手は桑名の焼きはまぐり」の手なのか。

日本音楽のわざや奏法、そして一定の曲や調子、譜に至るまでも「手」という言い方をする。また能楽や舞踊などのきまった舞い方や舞の型、それに一定の所作なども「手」と言い、武芸などのわざや術をはじめ一般的な事を行うための技術についても、一定の型ができているわざを「手」といっている。

また、相撲の「取り手」、たくみな「書き手」、美声の「歌い手」などというように、人間そのものを指しても言う。そして優れたワザビトを「上手」と言い「下手な考え休むに似たり」でもある。こうした意味で篠笛の「手孔」という言い方は、日本音楽の基本的な様式とかかわって使われている名称であることがわかる。

和洋合奏的な分野では、正確に調律された長音階の篠笛…篠笛とは認めがたい笛が使われている。それは和音による合奏であるために、できるかぎり正確な音程を必要とするためである。

ところが、この笛からは何故か篠笛の音楽が聴かれない。右手の指の無理な構えにだけ原因があるのではなく、ねらった音の高さにするための技巧を必要としないために音を出した途端に目的とする高さの音が出てしまい、その音にいたるまでの葛藤の部分がないからだと思う。

篠笛の場合は音が出てから目標とする正しい高さの音に収まるまでの課程が、心の遊びであり表情であるからである。この点、古い篠笛や改良程度の篠笛には、自然に音を探る遊びの課程が得られ、その遊び方が「手」として一定の型をなしてきているのである。

篠笛の孔を「指孔」と認識しているうちは日本音楽の理解が不十分であり、日本音楽の音を五線譜に書くことが音楽教育であると思っているような人にはぜひ一考願いたいと思う。

篠笛の孔は音を作り出す孔ではなく、心情を表現するための孔であるとするがいい。そうすれば、「美しい音を出そう」「正確な音を出そう」といった考えは消えて、心を表現するための手段を孔に求めることになる。それは自由な心の遊びを篠笛の孔から創造することであり、そこに心を伝えることのできる手段、日本音楽の様式を学ぼうとする。

やはり篠笛の孔は「手孔」なのである。
山田 藍山
藍ノ会
MOVIES'「篠笛を吹く」