笛の音色と共に…
Column
  1. トップページ
  2. 笛の音色と共に…
  3. その3「伝統音楽の想いの深さは」
笛の音色と共に…
Column
その3「伝統音楽の想いの深さは」
「戦後、車社会になり新幹線ができ生活がスピードアップするにつれて、演奏会形式の三味線音楽を代表する長唄のテンポが、ずいぶんスピードアップした。だがこのところ少しずつゆったりとしたテンポに戻りつつある。」…長唄の笛の奏者からこの種の話をよく聞いた。

長唄の篠笛は、唄や三味線のすき間を埋めるようにゆったりと吹く。そのために笛の奏者には、曲のテンポが速くなるほど吹きにくくなるのでテンポの変化は気になるはずである。

歌舞伎での長唄は篠笛を吹く部分がゆったりと演奏されて篠笛がたっぷり気持ちよく吹けるのだが、演奏会形式のスピードアップした長唄では笛を気持ちよくゆったりと聴かせるすき間がないのだと思う。持続音を持たない他の楽器は曲の速さの変化にそれほど問題はなくても、唄や持続音の楽器である笛の奏者には欲求不満が残るのだろう。それだけに笛の奏者は曲のテンポの変化を敏感に感じているのではないだろうか。

日本音楽の曲の基本的な速さ・テンポについては、どうしても生活のスピードと結び付けて考えやすいが、もっと大きな要因が他にあると思う。

能楽は形成期に比べると二倍ゆっくりになったと言われているし、雅楽にいたっては日本に入ってきた時の五倍もゆっくりになったという研究者がいる。現在の能楽囃子を倍の速さで演奏することを想像すると、民謡の雰囲気を持ったずいぶんと素朴な音楽が思い浮かぶ。また現在の雅楽を五倍の速廻しにしたとしたら、中国の京劇の雰囲気になってしまうだろう。

曲がどんどんゆっくり演奏されるように変化したのは、江戸時代だったのではないだろうか。一つ一つの音に想いが集中する…その想いが深ければ深いほどそこに留まる時間は長くなって、その結果として曲のテンポはゆっくりになる。

また、一つ一つの音以上に音と音との「間」の空間に音楽を感じ、飾りや無駄を取除いて音楽を磨き上げた時代が江戸時代だと思うが、そうした単純な方向へと磨き上げた結果、一音への想いがより深いものになっていったのであろう。

人々のエネルギーを他国に向けることができなかった鎖国の時代は自分の足元を深めるより致し方なく、このとき日本音楽固有の様式が完成したのだろう。演奏者も聴衆も一音一音に、そして「間」の空間に深い音楽を読み取る力が高められて、音楽のゆっくりとしたテンポをつくり上げていったのだと思う。

明治以来、西洋音楽にエネルギーが向けられ、演奏者も聴衆も磨き上げられた日本音楽を理解する能力が衰えるにつれて、一音一音への想いは浅くなり速いテンポに刺激を求めるようになってゆっくりとした音の動きが持ちきれなくなっていったのだろう。ところが最近は、国際人として日本固有の文化を身に着けた人間を求めるようになった。

こうした中で、忘れかけていた日本音楽を新鮮なものとして理解しようとするエネルギーが、曲のテンポをゆるやかな方向に向けるようになってきたのだと私は思う。
山田 藍山
藍ノ会
MOVIES'「篠笛を吹く」